名古屋地方裁判所 昭和35年(わ)2445号 判決 1962年10月10日
被告人 村手昌一
昭六・四・五生 運輸技官
主文
被告人を禁錮壱年に処する。
本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は運輸技官として名古屋航空保安事務所管制運用一課に勤務し、航空交通管制官として愛知県西春日井郡豊山村、同郡北里村、小牧市、春日井市及び名古屋市に亘り所在する運輸省名古屋空港内に設置されている航空交通管制塔内において、航空機に対する飛行場管制等の業務に従事していたものであるが、昭和三五年三月一六日午後七時三七分頃無線電話をもつて機長大堀修一の操縦する全日本空輸株式会社所属のDCIII五〇一八号旅客機に対し管制指示により同空港滑走路上の南東地点(滑走路と交叉するターミナル誘導路即ち第二誘導路北西端基点より南東方向約二六五米の地点)に接地着陸せしめ、更に滑走路上を北西方向に着陸滑走中の同機に対し、滑走路上において一八〇度旋回し誘導路へ進入すべき旨指示をなし、同機はこの指示に従い前記接地々点より北西方向約五七三米の地点附近において一八〇度左旋回をなしターミナル誘導路に右(南西)折進入すべく滑走路上を南東方向に向い地上移動中、一方滑走路南東端地点(前記基点より南東方向約三七七米の地点)附近において、航空自衛隊第三航空団勤務二等空佐平野晃が操縦するF八六D八一三七号全天候戦闘機が離陸指示を要求して待機中であつたが、かかる場合飛行場管制業務に従事するものは右旅客機が滑走路より誘導路への進入を確認したる後、前記戦闘機に対し離陸の管制指示をなし、もつていやしくも衝突等による危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず被告人は不注意にも之を怠り、同旅客機の滑走路上における滑走状況を誤認し、しかも誘導路への進入を終つたか否かを確認せず同旅客機が中央誘導路へ進入したものと妄信し、右旅客機に対し一八〇度旋回誘導路進入の管制指示後約二一秒にして滑走路上南東端地点附近において待機中の前記平野晃操縦にかかるF八六D八一三七号機に対し、離陸支障なしの管制指示を発した過失により、右平野晃をして右指示に従い離陸のための計器点検を始め約一八秒後に発進させ、同人において滑走路上を北西方向に離陸滑走直後前方稍東に向いた同旅客機の機首を発見し、直ちに接触をさけるため左上方に自機を引き上げようとして方向舵及び操縦桿の操作をなしたが及ばず同日午後七時三九分頃前記基点より北西方向約八九米の地点附近の滑走路上において、右戦闘機の空気取入口及び右翼をそれぞれ右旅客機の右翼及び脚部、胴体後部に衝突させるに至り、航行中の航空機である右戦闘機を炎上破壊(損害約一億七十万円)させ、又右旅客機を大破(損害約五千万円)させ、且つその乗組員スチユワーデス大関紀久子(当時二三年)乗客安藤一美(同三〇年)同人の内妻伊藤友子(同二七年)を即死させ、乗客河合五良太(同四一年)に全治約三ヶ月を要する骨盤骨折等の、同木地本清吉(同六八年)に全治約二ヶ月を要する頭蓋骨々折等の、同高野時次(同五五年)に全治約一ヶ月を要する頭蓋骨々折等の、同船橋秀一(同六一年)に全治約一ヶ月を要する前胸部等挫傷の、同堀田竹一(同四三年)に全治約一ヶ月を要する肋骨々折等の、同大山一生(同三八年)に全治約二週間を要する頭部打撲傷等の、同泰幸三郎(同三九年)に全治約二週間を要する後頭部打撲傷等の、同大橋和男(同三二年)に全治約二週間を要する左膝関節部挫創の、同柘植植太(同三三年)に全治約一週間を要する右手掌擦過創等の各傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)(略)
(適条)
法律に照すと、被告人の判示所為中自衛隊機及び全日空機を破壊した点は夫々航空法第一四二条第二項、第一項に、全日空機の乗客を死傷に致した点は夫々刑法第二一一条前段に該当するところ、前者(自衛隊機炎上破壊と全日空機大破の点)及び後者(各死傷の点)は何れも一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であり、又前者と後者も同様一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段に則りその最も重い自衛隊機炎上破壊の罪の刑を以て処断すべく、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を禁錮一年に処し、後段説示のような諸点を綜合して刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二五条第一項に則り、本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部之を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
ところで本件は未曾有の重大事故であり、又その有する特異性に鑑み、当裁判所は本件の事実上並に法律上の争点及び情状等について以下説明することとする。
第一、事実上の争点について、
(一) 被告人は管制官であるかの点
被告人は昭和三三年七月一日付で運輸技官となり、直ちに運輸省の航空局研修所に入所、航空交通管制の席上課程を終え同年一二月二五日同所を卒業し、所謂米式三レベルの資格(航空管制官の資格には米式で三レベル、五レベル及び七レベルの三段階がある)を得、同三四年一月埼玉県入間川の航空保安事務所勤務となり航空交通管制業務に従事し、同年一二月一六日付で名古屋航空保安事務所に転じ、同所管制運用二課に翌三五年二月五日付で同一課に夫々配置換となり、爾来名古屋空港内設置の航空交通管制塔内で航空交通管制業務に従事していたもの、元来航空交通管制官の定義については何等明確な規定の存するものなく、たゞ航空交通管制職員試験規則中に所定の科目についての研修制度(同規則第三条)や所定の試験の合格者には管制業務の種類ごとに航空交通管制技能証明書を交付する(同規則第五条)旨を規定し、更に同規則第九条第一項に管制業務は当該業務に係る技能証明書及び身体検査合格書を有する職員以外の者に行わせないものとする。ただし技能証明書を有する職員の監督のもとに行わせる場合はこの限りでないと規定しているのみである。被告人は同規則による技能証明書はもつていないが、前記のとおり管制業務に従事していたものであるから広義の管制官であり又管制業務担当者間においても同人が管制官と認められていたものである。以上は須田正夫の被告人に対する身上調書の提出と題する書面、被告人の司法警察員に対する供述調書、証人泉靖二、同妹尾弘人及び同賀好悠二の各証言(各速記録記載)により之を認めることができるので、弁護人の被告人は見習管制官であつて管制官ではないとの主張は之を採用しない。
(二) 全日空DCIII機の百八十度旋回(所謂Uターン)地点について
被告人は百八十度旋回地点(以下旋回地点と略称する)は中央誘導路の北側である旨、対之DCIII機の大堀機長等はその南側である旨夫々主張するので検討する。
先づ被告人の右主張の根拠について見るに、同人の司法警察員並に検察官に対する各供述調書によれば畢竟単なる感じでそのように思つたというに帰し、何等具体的に首肯し得るものがないのに対し、大堀機長等の右主張は証人大堀修一及び同河合長作の各証言(各速記録記載)並に司法警察員西村一夫作成の昭和三五年三月二五日付検証調書(図面添付)及び当裁判所作成の同年七月七日付検証調書(図面添付)各記載の右同人等の指示説明において、大堀機長等は百八十度左旋回の際自機の着陸灯の照射光芒により中央誘導路の入口青色灯が視認されたから同誘導路南側で旋回したのは間違ないといゝ、又中央誘導路の入口両側には青色の誘導路灯が二個づつ点灯されていたことは大野利三の検察官に対する供述調書(図面二葉添付)により認めうるところである。
右のとおりであるからDCIII機の旋回地点は中央誘導路の南側(その距離関係についてはこの段階では論じない)であつたと認めるのが妥当である。尤も大堀機長等の主張する旋回地点の中央誘導路への距離関係(後にのべる)から見て、その地点においては、むしろ旋回せずに直ちに中央誘導路へ左折進入するのが早道であり又通常のように思われるけれども、大堀機長等は被告人が旋回の指示を出したのはタワーとして何等かの必要があつてのことであろうとそのまゝ指示に従つて旋回南進した(証人大堀修一の証言)というのであり、着陸機としては航空交通全般の状況は之を把握できないのが当然であるからコントローラーである被告人の指示に従うのがむしろ当り前であり、更に証人小林三郎の証言(速記録記載)及び当裁判所夜間検証の結果(昭和三六年一一月六日付検証調書記載)によれば、滑走路灯は白色灯であり、中央誘導路灯はその入口両側に青色灯が点灯され、いずれも之を十分識別しうるのである。
従つてこの点に関する被告人の右主張は之を採用しない。
(三) 被告人の本件管制指示につき何等注意義務の懈怠はない旨の主張について
本件事故当夜の天候は快晴、視程二〇マイル、障害現象なしという極めて良好な気象状況であつたことは名古屋航空測候所長の気象状況について照会の件回答と題する書面及び名古屋気象台の気象状況についての照会に対する電信回答に関する検察事務官の報告書により又当夜の航空機の交通量が僅少閑散であつたことは被告人及び賀好悠二の司法警察員に対する各供述調書並に同人等の当公廷における各供述によりいずれも之を認めることができるし、且つ名古屋空港に設置されている灯火及びその点灯関係については前段説示のとおりであり、かゝる状況下に被告人がDCIII機(以下大堀機と略称する)に対し百八十度旋回を指示したのであるが、本件F八六D機(以下平野機と略称する)更には同種戦斗機(以下妹尾機と略称する)が離陸発進待機中であつたのであるから、被告人としては大堀機の動きを十分注視し同機が誘導路に進入退避したことを確認すべきであり、又当然正しく之が確認可能の状況にあつたことは前段説示の気象状況、交通量及び灯火関係により明らかであると共に、当裁判所の夜間検証の結果(前記調書並に添付図面及び写真参照)によれば、大堀機の着陸後の動き即ち同機の滑走路上の進行並に旋回状況、殊にその旋回が中央誘導路の南側であつたこと(この点については前段説示のとおり)は同機の着陸灯、翼端灯或は尾翼灯等と空港設置の滑走路灯或は誘導路灯等の配列状況又は色別等と対比して、容易に管制塔から識別看取することができ而も管制塔は高さ二〇米余であつて、管制事務室はその最上部に存在し、周囲は硝子張であつて空港全域が一望の下に見渡され、当夜も例の如く航空機離発着の際は室内灯を消して管制業務に従事していた(このことは証人賀好悠二の証言により認められる)のであるから滑走路及び誘導路入口の位置の識別は十分できたものと認めなければならない。
以上のとおりであるから被告人が主張する大堀機の旋回地点についての誤認が、同機の誘導路への進入退避の誤認を呼び、更に平野機に対し離陸支障なしという指示を与える結果となつたものであるが、抑々司法警察員西村一夫作成の昭和三五年三月二五日付検証調書(図面及び写真添付)当裁判所作成の同三六年七月七日付検証調書(図面及び写真添付)及び証人大堀修一の証言(速記録記載)を綜合すると、大堀機長の旋回地点として指示するところは衝突地点の北方約二一八・七米の滑走路上(中央誘導路の南側であることは前段説示のとおり)であり、被告人の同指示地点は衝突地点の北方四二二・六二米の滑走路上(中央誘導路の北側であることは前段説示のとおり)であることが認められ、その差は約二〇三・九二米となる訳であるが、大堀機の旋回地点は中央誘導路の南側であると認めるのが妥当であることは己に説示のとおりであるから、結局被告人は管制塔から大堀機をその正位置より約二〇三・九二米北方に誤認したことになるのであつて到底注意義務をつくしたとは云えない、恐らく当夜の極めて良好な気象状況と閑散な交通量とが被告人の安易感を呼び、緊張を欠いた結果と、その故に管制塔常備の双眼鏡の使用にも考え及ばず誤つた管制指示をなしたものと認められる。勿論山本達雄の司法巡査に対する供述調書添付の勤務状況一覧表によれば、被告人の管制塔における管制実務特に夜間勤務は一一回前後に過ぎずその経験は浅く、又当然上級管制官の監督下に遂行さるべきであつたもので、本件賀好上級管制官の監督責任(この点については後にふれる)が十分つくされていない節もあるが前段説示したとおり大堀機の動きを確認することはさして至難ではなかつたものであり兎に角被告人の注意義務の懈怠は前段説示の諸点を綜合すると、その経験未熟の故を以て之を看過すことはできない、従てこの点についても被告人の主張は之を採用するの限りでない。
(四) 被告人の公訴事実中「…計器点検を始め約一八秒後に発進せしめ…」とあるが、それは約二五秒後以上であるとの主張について
押収にかゝる証第一号の録音テープ及び山本達雄の昭和三五年三月一八日付上申書添付の本件事故発生前の管制状況記載の時間経過より被告人が大堀機に対し百八十度旋回指示後平野機発進迄の時間を検討すると検察官主張のように次のとおりであることがわかる。
(イ) 被告人が大堀機に百八十度旋回指示後平野機と交信開始迄に約二一秒
(ロ) 被告人と平野機との交信に約九秒を要している。
(ハ) 被告人と平野機との交信終了後、妹尾機との交信開始迄に約九秒
(ニ) 被告人と妹尾機との交信に約九秒を要している。
(ホ) 証人妹尾宏志の証言(速記録記載)によれば、同証人が被告人に対し了解回答をなした際、平野機は未だ離陸発進準備地点にいたことは明らかで、その直後に平野機は発進したものと認められる。このことは証人石川正美の証言(速記録記載)中「午後七時三八分三〇秒頃平野機に対し離陸発進準備地点に入つてよろしいとの管制指示があり、約一分後に更に離陸支障なしとの指示があり、同機は約二〇秒後に滑走を開始した」とある点からも明瞭である。
以上(イ)乃至(ホ)の時間経過と更に証人賀好悠二、同大堀修一、同河合長作、同森実、同妹尾宏志、同石川正美及び同平野晃の各証言(各速記録記載)、同人等の検察官、司法警察員或は司法巡査に対する各供述調書の記載並に各検証の結果を綜合して、被告人が大堀機に対し百八十度旋回指示をなし、之に対し同機が了解回答をなした直後を零秒とし、被告人が各機との交信状況を大堀機、平野機及び妹尾機につきその各行動を時間的に整理すると次表のとおりであつて、被告人が平野機に対し管制指示をなし同機が計器点検を始め約一八秒後に発進せしめたことが明瞭である。
0秒
録音テープ
大堀機
平野機
2
4
6
8
10
12
14
16
18
20
22
24
26
28
30
32
34
36
38
40
42
44
46
48
21 平野機と交信
30 同交信終了
39 妹尾機と交信
48 同交信終了
5 180度旋回開始
11
180度旋回終了
時速約12.5哩で南進中
5大堀機の尾翼灯視認
12着陸灯消す
13エンジン100%の計器点検開始
33アフターナンバー計器点検開始
発進
よつてこの点に関する被告人の右主張は之を採用しない。
以上のとおりであるから被告人の右四点についての主張はいずれもその理由なく、これらの点に関する判示事実は凡てその証明十分といわねばならない。
第二法律点について
(一) 航空交通規制法規について、
航空交通を規制する法規は航空法(本件については昭和三五年六月一日改正前のもの)及びその附属法規(同法施行令及び同法施行規則その他)である。
即ち航空法第九六条に所謂運輸大臣の航空交通管制指示の権限は同法第一三七条の二、同法施行規則第二四〇条及び第二四二条の二により航空保安事務所長及び航空交通管制本部長に行わせることとし、実際にはそれぞれに属する航空交通管制職員によつて行われ、その方式については昭和三四年七月一日付航空局長空達第二号「航空交通管制の指示の方式に関する訓令」の規定があり、又自衛隊における方式については同三二年一一月二七日付航空自衛隊達第五〇号「航空自衛隊航空交通管制規則」の規定がある、又右国内法規はいずれも国際航空慣行及び特に米国の準則を前提としている。即ち航空法第一条は同法が国際民間航空条約の規定並に同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続に準拠することを規定しているから同法は右国際民間航空条約(所謂ICAO、イカオ、以下かく略称する、我国批准済)及びその附属書を当然その前提としている、更に航空交通管制の方式については、前記航空局長通達及び航空自衛隊航空交通管制規則は共に米国航空交通管制方式(所謂ANC、以下かく略称する)によるべきことを規定しているから、ANCは右通達及び規則の内容となつている。このANCは又米軍又は米民間の航空規則を前提としており(ANC三、四〇一参照)その米軍又は米民間の航空規則とは現実には米空軍規則(AFR)及び米国民間航空法(CFR又はCAR)等であり、これらの規定はイカオ及びANCと共に国際航空慣行として認められ、現に右航空自衛隊航空交通管制規則にはANCと共にAFRによるべきことを規定している点から見ても、これらAFR及びCFRも亦法律解釈上参考とさるべきものと解する。
(二) 弁護人は有視界気象状態の下では「離陸支障なし」という被告人の管制指示は「許可」であつて「命令」でないから、結果に対する条件又は原因に該当せず、因果関係の範疇外の行為であり、従つて被告人は無罪であると主張するので検討する。
操縦者は「着陸する他の航空機に続いて離陸しようとする場合には、その航空機が着陸して着陸帯の外に出る前に離陸のための滑走を始めてはならない」(航空法施行規則第一八九条第一項第八号、イカオ附属書二の三、二、二、五項)のであるが、航空法第九六条による管制指示に従う場合はこの限りでない(前同規則第一八九条第一項但書)
これを本件についてみるに、平野機が離陸のための滑走を開始しようとしたときに、着陸した大堀機が滑走路即ち着陸帯になお存在し、それにも拘らず被告人は右平野機に対し「離陸支障なし」の管制指示を与え、平野機はこれに従つて発進したのである、この管制指示は航空法第九六条による場合即ち同法施行規則第一八九条第一項但書の基準に当る場合としてのものでなく、同条第一項本文の基準に当る場合として、誤つて出されたものである、大堀機がすでに百八十度旋回を終り、平野機に対面して地上移動中であつたのであるが、被告人は之を誤認して平野機に対し右指示を与えたものである。(被告人も公訴事実認否の際最善の努力をしたがと弁解しつゝ見誤つたことは之を認めている)。
然し被告人はその管制指示は「許可」であつて、「命令」でないから結果に対する因果関係なしと主張するのである。
先づ管制指示の態様について考えるに、航空法第九六条による管制指示には「直ちに離陸せよ」又は「離陸位置に停止せよ」というような命令的文言のものと、「離陸支障なし」というような禁止を解除する許可的文言のものと二種類がある。(証第一号録音テープによつても同様のことが認められる)。本件のそれはこの後者であり、その文言から見てまさに米国方式にいう「クリアランス」にあたるものであるが、米国方式で「クリアランス」とは単にこれ丈でなく前記二種類を包括して指称しており、従つて「管制指示」と「クリアランス」とはその意味内容を同じくするものと認められる。
一般に管制指示に従わないで運航した者は処罰される(航空法第一五四条第一項第八号)のであつて、罰則によつて間接に強制されるのであるが、証人妹尾弘人もこの点に関し「許可的文言と命令的文言との差異は違反の態様が異ると思う。命令的文言に従わなかつた場合は指示違反になるが、許可的文言に従わなかつた場合は違反にはならない」旨の証言をし、「許可」と「命令」とを区別する実益は専ら違反の態様が異る点にあるとしている。又一般的にもそのように解されており、従つて因果関係について考察する場合その指示が「許可」であるか「命令」であるかは何等関係なく区別の実益がない。
そこで「管制指示」とその意味内容を同じくする「クリアランス」について、その定義をみるに、イカオ附属書二の一、〇項は之を「航空機に対する航空交通管制機関によつて指定された条件に従つて航行することの権能附与」とし、ANC一、〇〇項は「管制圏又は管制区内において、既知の航空機間の衝突防止のため指定された交通の条件に従つて航行することについて官制機関から航空機に対して出される権能附与」としている。従つて操縦者は原則としてこれに従わなければならないのである。(イカオ附属書二の三、五、一、一項航空法第九六条)、かくてこそ航空交通の安全と円滑の維持が保たれるものであつて、通常は何等の支障なく運航が行われている訳である。とはいうものの如何なる事態の下においても操縦士に指示と異る行動をとることを許されないとするものでないことは航空交通の本質或は航空交通管制の目的から当然なことである。即ち不適当な管制指示が出された場合操縦者は之を是正する処置に出るべきである。(ANC三、四〇一一項)然しながら更に考えるに、弁護人のいうように「管制指示」は「ある程度の指示」を与えるというものでなく、例えば「現在位置に停止せよ」とか、「離陸支障なし」との管制指示が出された場合、その事態の下では現在位置には停止することが航空交通上必要であればこそこのような指示が出されるのであつて、操縦者が自由にその指示に従わないならば航空交通の円滑な流れをみたすことになるであろう。「離陸支障なし」の場合も同様である。指示の形式の如何はこの際問題ではない。前段説示のとおり「許可的文言」と「命令的文言」の区別は単に違反の態様を異にするところにその意味があるのみで、結果に対する責任関係、因果関係は別個に考察すべき問題である。然し万一その指示が過誤に基くものであつた場合その過誤を発見した操縦者はこれを是正する処置をとるべきことは前述のとおりであり、即ち航空交通管制の目的たる航空交通の安全と円滑の維持が保たれるのは相互に相補う協力的作業あつてのことである。反之かゝる誤つた指示を出した管制官においてその過誤に気づかず又之をうけた操縦者においても之を是正することなく事故の発生を見た場合はその実情に応じて責任を探求し、問題の解決に当らなければならない。
こゝで管制官と操縦者とに関する各種責任規定についてみるに、先づ管制官についてはANC三、〇〇項に「飛行場管制塔は次に掲げる航空機間の衝突防止のため操縦者を援助し、航空交通を保護するため航空機の操縦者に対する指示の発出及び情報提出の責任を有する」と、同三、〇〇一項に「飛行場管制塔は移動区域内を運航している航空機に対する不必要な遅延をさけ、予防するため、又航空機による着陸帯の本質的な使用を容易にするための情報及び指示の発出と中継にも責任を有する」とその責任を規定し、次に操縦者については、イカオ附属書二の二、四項に「操縦者はその操縦する航空機の処置に関する最終責任を有する」と、同附属書六の四、五、一項に「機長は飛行時間中、航空機の操縦、機体及び乗客の安全について責任を負わねばならない」と、同附属書一一の三、一、一項に「有視界気象状態において飛行している場合他の航空機との衝突防止は機長の責任である。これについて飛行場管制塔から出される情報及び管制クリアランスは単に機長を援助することを目的とするものである」と、航空法第九四条に「航空機は有視界気象状態においては計器飛行を行つてはならない」(これは外界を見て衝突防止を図るべき操縦者の責任規定と認められる)と、ANC三、〇一〇項に「有視界気象状態で飛行している場合他の航空機との衝突防止は操縦者に直接の責任があると考えられる…」と航空機の運航自体に関する直接責任は操縦者が負うべきものであることを規定している。
これらの規定により各責任分担が法文上区分されてはいるが、これ等はいずれも各立場の相違、その任務或は業務の相違による当然の規定であつて、因果関係の有無とは別個の問題であること勿論である。
更に他面から今少しく検討すると、「管制指示」はそれが許可的であれ、命令的であれ、航空交通の安全とともに航空交通の秩序ある流れの促進と維持を目的とする(イカオ附属書一一の二、二項)ものであり、「離陸支障なし」の指示についていえば「地上移動の交通を処理するクリアランスの原則はできる限り現に使用中の滑走路をいつでも使用できるように保つこと」(ANC三、一三二項)という要請の下に航空機からの離陸発進の要求に対して出されるものであり、管制塔において、確認の上指示を発しなければならない(ANC三、一四三項、同項(2)に「同一滑走路を使用する先行着陸機が滑走路を開けてしまうまでは出発機に離陸の管制指示が与えられないこと」とある)のである。
然らば管制官においてもその管制指示について滑走路が開放されたことを確認した上でないと出発機に対し離陸の指示を与えてはならない義務を負うているものといわねばならないのである。ところが弁護人は本件管制指示が「許可」であつて「命令」でないからという事由の下に原因関係なしと主張し、或は又被告人が不適当な管制指示を出したことは明らかにあやまりであるとしても、これは適切な指示を与えなかつたという点で行政的に追及さるべき問題で、操縦者は指示の内容の如何に拘らず発進すべきか否かを選択する余地があつたのであり、且つその法律上の義務として当然選択すべきであるから操縦者が単独にその責任を負うべきであると主張するが、かくの如きは管制官の前記義務に目をおおう一方的の独自の議論であり且つ前段説示の諸点と併せ考えて到底賛成できないものである。
尚弁護人は大堀機の着陸灯は見誤る余地のない程の強い光度のもので平野機発進前にすでに百八十度旋回を終つて平野機に対面して滑走路を移動しつゝあつたのであるから前方注視を怠らなければ何人も容易に之を識別可能であり、況んや熟練した操縦士である平野が之を見誤ることは絶対あり得ない。結局平野がその注視義務を怠つたものであつて、それは致命的な過失であり且つ平野が管制官の誤つた指示を是正すべき法律上の義務(ANC三、四〇一一項)を果しさえすればかゝる事故は起る可能性はなかつたもので平野の過失と結果との間に因果関係の存在することは明瞭であるから、平野は単独にその責を負うべきである旨主張する。大堀機の着陸灯の光度が相当強度のものであつて被告人において当然之を視認される筈のものであつたことは前段説示により明瞭であつてこの点については被告人を平野と区別する理由は存せず、これを誤認した責を平野にのみおしつけることはできない。弁護人は平野が十分前方注視義務を果し、被告人の誤つた指示を是正してさえくれれば本件事故は起る余地がなかつたというが、他方又被告人が十分大堀機の動きを注視し、誘導路への進入を確認した上で平野機に対し指示を与えていたならば本件事故の発生することはなかつたのであり(勿論平野の過失が之に加わつたものであることについては後に述べる)、被告人の誤つた指示が本件事故の第一前提であつたことには間違ない。従つて右弁護人の主張は一方的且つ独自の議論であつて採用の限りでない。
要之、被告人が「離陸支障なし」という誤つた管制指示を出したことにより、平野機を発進させ、よつて本件事故が発生した以上、被告人の過失と結果との間に因果関係の存することは当然であることは以上諸種の観点から検討説示したところにより明らかであるが、特定の過失に起因して特定の事故が発生した場合を、一般的に観察してみて、かゝる過失によつてかゝる結果が発生するおそれのあることは実験則上予測されるところであつて、仮令その間にたとえば平野の過失のような過失が之に加わるか又は他の何等かの条件が介在し、而もその条件等が結果発生に対して直接且つ優勢なものであり、問題とされる過失が間接且つ劣勢なものであつたとしても、これによつて因果関係は中断されることなく、右過失と結果との間にはなお法律上の因果関係ありといわなければならないのであるから、前段説示のとおり被告人にその過失が認められる本件につき被告人がその刑責を負うべきは当然であり、弁護人の前記主張はいずれも之を採用することはできない。
第三、情状等について
(一) 被告人に有利な点
(イ) 被告人はその性格極めて真面目であり、勿論前科はなく又その勤務振りも良好且つ一日も早く管制業務に練達すべく精励していた将来ある青年であること。
(ロ) 賀好悠二の上級管制官としての監督責任懈怠があつたこと、
被告人は米式三レベルの管制官であり、又技能証明をもつていないのであるから技能証明をもつ上級管制官の監督下にその業務を行うべきであるところ、当夜も技能証明をもつている米式七レベルの賀好悠二の監督の下に飛行場管制(Aポジシヨン)業務に従つていたのである。ところで証人賀好の証言(同人の速記録記載)によると賀好としては栗原管制官の方を監督するのがその時としてはより重要だと判断してその方にかゝつていたので被告人の方は十分注意しなかつたというのであり、又当時としてやむを得なかつたというのであるが、右栗原は進入管制(Cポジシヨン)業務に従つていたもので、被告人と比べて上位の米式五レベルを認められ、その経験もより豊富であつたのである(これらの点は証人賀好の証言及び栗原の検察官に対する供述調書により認められる)から監督者としては常に経験未熟な被告人に先づ注意を集中すべきで現に本件指示直前に着陸した航空機の機種について被告人の誤りを指摘しているのであり、後続機のことよりも、現に離陸発進する平野機に関する指示が重要であり、先決すべき問題であつたのであるが、当夜の良好な気象状況等のため安易感が先に立つて、被告人の指示の適否につき十分注意することなく放任したことは監督者としてその責任をつくしたとは到底認められない。
(ハ) 平野晃は操縦者としての前方注視義務違反があつたこと操縦者の航空機の運航に関する責任については前段説示のとおり種々の観点から諸規定が存在し、要之操縦者は航空機操縦の最終責任者として有視界気象状態下では衝突防止のため肉眼をもつて前方を注視すべき義務があり、これは管制指示の如何にかゝわらず独自の責任において行わるべきものである。
尤もその注視義務については地上移動の場合と離陸発進の場合とでは多少相違し、前者の場合は衝突防止のため操縦席から注意を維持する責任を有する(ANC三、一三〇項)のであり、間断なく前方を注視すべき義務があり、従つて操縦席から前方を十分に監視する(航空法施行規則第一八八条第一号)に止まらず操縦席からの視界には制限があるから場合によつては地上誘導員を配置すること(前同条第三号)も要求されるが、後者の場合は、計器点検等の操作が必要であるから前方注視にのみ専念することを要求されないけれども衝突防止は依然最も重要事であつて、着陸機に続いて離陸する場合、着陸機が着陸帯の外に出る前に離陸のための滑走を始めてはならない(前段説示)という規定の趣旨からも操縦者は発進の決定的操作を行う直前において操縦姿勢のまゝ前方注視をなすべきであつて、このことは自機が発進のため正しい位置におかれているかどうかを見極わめるためのみならず、他機との衝突防止のためにも是非必要なことである。
ところで本件の場合についてみるに、当夜は良好な気象状況であり又交通量も少く閑散で、而も空港の灯火は所定の点灯がなされた状況の下に、大堀機の着陸灯は四二〇ワツトのもの二個が点灯されていたことは前段説示のとおりであるし大堀機の視認は容易であつたことは当裁判所の夜間検証の結果によつて明らかであり、従つて之を見誤つた平野にその前方注視義務違反のあつたことは認めざるを得ない。勿論被告人の誤つた管制指示が前提として存在しているのであるから、結果に対しこの指示が第一次的のものであり、又F八六D機は高性能の故に発進前の計器点検等は極めて複雑、困難な点多く、燃料消費量の点からも一刻も早く発進する必要がある等の諸点を斟酌考慮しても、平野は操縦者として衝突防止につき直接責任を有するものであるから、仮令管制指示は正しいのが通常であるとしても直ちに之に従いその課せられた注視義務を怠つていゝというものでなく十分之を果すべきであり、まして自衛隊機の離発着について管制指示に従わなかつた例が相当存在していることは証人泉靖二の証言中にも見られる(泉靖二作成の書証と題する書面及び自衛隊航空機が管制指示と異る航行をなした例に関する表参照)のであつて、必ずしも直ちに管制指示に従うことなく独自の行動をとつている実情をも考え合せなければならない。又被告人の誤つた指示に誘発されたとして平野の過誤を軽視することはできない。
要するに事故防止は管制官の注意義務と操縦者のそれとが両者相まつて十分果されてはじめて之を期待しうるのであつて、本件の場合を見るに平野の証言(同人の速記録記載)によれば自己の停止していた場所から見て左の方をランニングライトをつけて一機がおりてきた。それは前を通る時中型機であることがわかつた。それから滑走路南端の発進位置に正止し前方を見ていると先程着陸したDCIII機が滑走してゆくのがテイルライトで見えた。それはランウエイの中心線をとことこ向うえ遠ざかつて行くのが見えた旨、更にタクシーウエイは空港に五本あり、この中のいずれかに入る運動をはじめたと思つた。テイルライトが見えなくなつたのでそちらえ行つたと感じた旨証言しているところからみると、平野は先行着陸機の動行を確認することなく発進したことは明白であり、先行着陸機が着陸帯の外に出る前に離陸のための滑走をはじめてはならないという規定(前提)に違反している訳であつて、事故防止のための業務上の注意義務を怠つた過失責任は重大であるといわなければならない。
(二) 被告人に不利な点
本件被害は公訴事実記載のとおり極めて莫大且つ悲惨なものであると共に、社会に与へた不安も亦多大であつたこと、
(三) 被告人に執行猶予を与えるを相当とした事情
(イ) 前掲被告人に有利な諸点、
(ロ) 本件被害が極めて莫大且つ悲惨であつたことは遺憾であるが、かくの如く結果が重大であればある程、被告人としてはその原因の如何をとはず肝に銘じ終生念頭を離れないことであり、仮りに今後同種業務に従事することがあつた場合でも再びかゝる過誤をおかすおそれのない事犯である点
(ハ) 刑の本質は教育にあつて、報復ではない。勿論報復的な観念を全然無視する訳にはゆかないが、刑を科する第一義はあく迄も教育的であることであらねばならない。又社会を警戒し、社会感情にも十分意を致さなければならないが、被告人は本件発生より本件審理に至る間已に長期間に亘り精神的並に肉体的に実刑同様極めて大きい制裁をうけたものと認めうる点をも考慮し、前掲諸般の諸事情を綜合すると、被告人を実刑に処することは適当でなく、むしろ刑の執行を猶予するを相当と認めた次第である。
(裁判官 伊藤寅男)